「心配=愛」は本当?娘のことで気づいた私の思考のクセ

こんにちは、思考の学校認定講師のきしもと有加です。
前回の「心配」から、私が娘のことで改めて感じたことを書きたいと思います。
心配とは何でしょう?

みなさんの心配のイメージは何ですか?
心配することは大切に思っているからこその思い…と思っていませんか?
例えば
- 親が心配するのは当たり前では?
- 心配しないなんて冷たいこと
ママ友と話をしていても、そういったやりとりを耳にします。
思考の学校では、周りは自分の潜在意識の「ヒトカケラ」と考えます。
つまりは、それだけ、私の中に「心配=愛」という思い込みがあるということになります。
「心配=愛」になっていないかな?

思考の学校での学びの中でも、頭では理解していたつもりでした。
しかし、体験から腑に落ちた瞬間が来たのです。
やっぱりどこかで「心配=愛」と思っている自分に気づいたのです。
「親は心配するものだ」と思っているということは、子どもの頃に心配してもらうことで
愛されていると感じていたということでもあります。
気にしてもらうこと、かまってもらうことで、大切にされていると感じていたのです。
私の中に、その思考パターンがあるということになります。
「愛」というと、ちょっと特別な表現に感じてピンとこないかもしれませんが…。
- こっちを見てほしい
- かまってほしい
- 気にかけてほしい
という表現ならしっくりくる方もいるかもしれません。
私たちは6歳くらいまでに培った思考パターンで今も思考しています。
つまり幼少期からの思考のクセを持ち続けています。
この思考のクセに気づき、少しずつ変えていけるか、それが現実を変えていけるポイントになるのです。
「心配される」という形で、かまってもらっていた私がいたのです。
顕在意識では、まさかこんなふうに考えているとは思えませんが、思考のクセが望まない形で願いを叶えているのかもしれません。
心配されることで、愛されていると実感して、心が満たされる感覚。
まるで、「問題を起こして、愛を確かめる」
これを子どもの頃だけでなく、大人になっても無意識でやっていたりするのです。

心配が愛の深さのような思い込みがありました💦
隠れた思考

子どもの頃と書きましたが、実は私は、結婚してからも夫にやってました。
「どれだけ私を大切にしてくれるの?」と
体調を崩したとき、思ったように気遣ってくれないと
- 私のこと、大切じゃないんだ!
- 病気になっても自分が苦しいだけだった
- やっぱり、病気になるだけ損だ!
この『やっぱり』という言葉に、病気になることで夫の愛を確かめようとしていた私の隠れた思考があるのです。
そもそも、
「大切にされていない」と感じる現実があるということは、
「大切にされてない」「愛されていない」と思考を溜めていて、それを証明するように現実化しているということです。
繰り返す「心配=愛」

心配=愛 の思考を続けていくと、心配する出来事も創り続けてしまいます。
それは、自分自身にも、周りにも起こります。
例えば、
子どもの問題が一つ解決してほっとしたら「心配=愛」の愛を注ぐ場がなくなるわけで
また次の問題を創り出してしまう。
このようなことを繰り返すこともあるかもしれません。
顕在意識では望んでいないことなので苦しいけれど、潜在意識には、「良い、悪い」のジャッジもないので創り出してしまうのです。
この現実を創り出す「心配=愛」という思考がある限り…
少し分かるかも…という方。
そう感じたとしたら、それが氷山の一角で、潜在意識にはその思考が大量にあるのかもしれません。

なんだか分かるような気がするね・・・
気づいたらチャンス

もし気づいたら、思考を変えていけるのでそれはチャンスです!
気づいた日から、気づいた今から、変えていくことができます。
心配を溜め続けていたことを認めて、「心配することが愛じゃないよね」と潜在意識ちゃんに教えてあげましょう!
「この思いを溜め続けるのはやめるね、教えてくれてありがとう」と思えると、一歩進めそうですね!
最後まで読んでいただきありがとうございました。

「愛」とは何でしょう?
「これは心配?それとも愛?」と
少しだけ意識してみるのもいいかもしれませんね。
