怒りは悪者じゃなかった!~暴れる子ども心を癒すだけで安心な世界へ


思考の学校認定講師 きしもと有加です
前回は「悲しみの中にある怒り」について書いています
また読んでみてくださいね
「怒り」とは?

怒りって悪いもの?
私たちは、いろんな感情を味わいたくて、生きています。
「喜怒哀楽」いろいろな感情があるのに、なぜか私たちは「怒」を良くないものと思っていたりします。
私も、”無意識の信念”のもと、怒りの感情を悪者としてきました。
怒りの感情をぶつけるのは良くない、抱く事さえ良くないと思っていました。
- 怒らないようにしよう
- 怒ってしまう自分はまだまだ精神的に成長できていない
- 怒ってしまう自分って最低だ
または怒っている人を見て
- なんでそんなに怒ってるんだろう?
- 私はそんなことでは怒らないけど…
こんな感じで、怒りをダメなものにして、自己否定したり見下しもしていました。
でも、「思考のしくみ」を学んで、「怒」の感情も、他の「喜」「哀」「楽」と同じ大切な感情と知ったのです。
そして「怒り」と聞くと、なんだか、激しい怒りの感情のように感じますが
私たちは無意識に「怒り」を感じていることも知りました。
怒りってどんな感情?
怒りというと、爆発、憤慨しているようなイメージもするので、そのレベルの怒りの感情は分かりやすいのですが、私たちは小さな怒りも抱えています。
私は、家族などに対して、激しくイライラしている自分には気づくものの、小さなイライラやモヤモヤの中にある怒りの感情にはピンときませんでした。
でも、自分の感情に向き合うようになり、イライラしたとき、思い通りにいかない時、悲しいとき、ひねくれているとき、拗ねているとき、などなど…
私はあらゆる場面で怒っていると知り、しだいに気づくようになりました。
例えば、
- 何気ない会話の中でも、自分の思う通りの返事がもらえなかった
- スーパーの店員さんに適当な返事をされた
- 車の運転中、前の車がやたらブレーキを踏む
自分の感情に気づこうとしていると、一瞬モヤっとした中にも、怒っている感情にに気づき始めるのです!
これらは全て次の瞬間忘れて今うくらいのほんの小さな怒りなのです。
思考のクセ

怒りを抑えるクセ
大きな怒りは分かるものの、小さな怒りは、いつの間にかスルーしている状態でした。
長子の私は、自分の感情より、いい子でいたい、褒められたい、正解は何か?などが重要になり自分の感情がだんだん分からなくなっていたようです。
しかし、いろんな感情に気づき始めたら、なんと、四六時中、小さな怒りを感じていたということです。
あくまでも傾向ですが、長子(兄弟姉妹の一番上)は、下の子が生まれるまでは、親の愛情を独り占めしていたわけですが、ある日突然下の子が生まれて、何もできない赤ちゃんに周りが世話をし始めてしまう、自分に手をかけてくれる時間が減ることで
- 親の愛が減った
- 自分は愛されなくなった
- いい子でいたら褒めてもらえる
- 頑張れば自分を見てくれる
と自分の本当の感情を抑え込んで、認めてもらうためにどう振舞うべきか?どうしたら自分が構ってもらえるか?が重要になったのです。
その結果、本当の自分の感情が分かりづらくなっている方が多かったりします。
怒るクセの出発点は?
では、どうして大人になった今もこんなに怒っているのか?
私たちは、親に何でもやってもらって当然と思っていた幼少期があります。
そんな幼少期は、とても傲慢で思い通りにならないことにすぐに怒っていて、その6,7歳くらいまでの思考のクセを今でも持ち続けているのです。
私たちは、何もできない赤ちゃんで生まれてきて、生まれてから親がなんでもやってくれて当たり前と思って育ちます。
そして思った通りにやってくれないとすぐに怒ります。
(この感情優先な幼少期は脳のしくみと関係があります)
- 抱っこしてくれなかった
- 応えてくれなかった
- 遊んでくれなかった
- 私のこと嫌いなんだ
「愛されてない」という愛の勘違いをして怒っているのです。
親は子どもを自立させるために、手伝うことを減らしたり、自分でやるように促してくれたり、本当はそれも愛だった
「愛の不足感」は勘違いだったのです!
大人の心に育っていますか?

心が大人になるとはどういうことなのか?
自分の感情に向き合い始めた私は、いつもいつも心の中で怒っていることに気づきます。
例えば
- 夫に自分が望まない時に話しかけられて、返事はするけど怒る
- 思い通りの返事をしてくれなかったら怒る
- 自分勝手にされたら怒る
とにかくいつも心の中で悪態をついていることに愕然としました。
それくらい、幼い頃の思考のクセを今でも持ち続け、自分を苦しめていたのです。
「どこかで、愛する、与える側にならないと一生苦しむ」
「与えることで豊かになるし、愛を知って大人になるんだよ」
と侑嬉校長も言われています。
親には愛があった

親には愛があった!親には愛しかなかった!
自分の知り得ない愛がたくさんあった!
では、どうやって大人の心に育てていくのか?
それは子ども心が暴れていることに気づくたびに
- 「本当は愛されていたんだよ」
- 「自立できるように育ててくれたんだよ」
- 「やってもらうことに価値を求めるんじゃなくて、自分から与える大人になっていこうね」
と、ちびゆかちゃんに、何度も何度も幼稚園児に言うように優しく教えていくのです。
コツコツと、丁寧に、焦らず・・・

自分の子ども心に、勘違いだったことを優しく教えてあげるんだね!
そうすると、どんなことが起こると思いますか?
なんと、自分のこころが「安心」でいっぱいになるんです。
それでもまだあるクセ
見直し続けてもクセはいろんなところで出てきます。
でも、気づけたらいいのです。気づけたらやめれるので。
先日また、「私って子どもの頃と同じでまたこうやってすぐに拗ねるんだな…」と思った事がありました。
でも次の瞬間、
「そんな私を、親はまるごと愛してくれていたんだ~~」
と、今まで感じていた以上にまた親の愛に気づくことがありました。
そのとき、また想像を超えた「安心」があったのです。
思考を扱うということ

これらのことは、誰に求めるでもなく、自分の心の中だけで、どんどん変わっている変化です。
誰かに自分の心を埋めてもらうでもなく、私で自分の思考と向き合うのです。
もちろん、この気づきには、侑嬉校長、先輩講師さん、養成講座同期、思考の学びのひとかけらさん、私の思考から現実化した目の前のあらゆる現実のおかげです。
でも、自分と向き合うだけで、安心安全な世界の住人になれます。
「思考が先、現実が後」
コツコツと思考を見直すことの大切さを実感しています。

だんだんと熱く語ってしまいましたが、
あなたも、ご自身の心と向き合ってみると、人生が変わりますよ🌸